つけ麺買って食った こんな味だったけな

昼過ぎに変なテンションでツイートしたとりとめのない文章のまとめ。

 

仕事明けの暴食、自分を甘やかしてるのか罰してるのかわからなくなるな。

 

思い出のラーメンを久しぶりに食べながら、東京に暮らしていることについて頭の中がグルグルしてた。

よく「地方は余所者に冷たいけど東京はそうでもないよ」と言っているけど、それは我ながらバイアスがかっていて、最近の事件でも「東京に行って馴染めなかった」というつまづきは普遍的にあるもんなんだと思う。

僕のような、意図せずに地方に行ってそこで馴染めないよりも、目的やら夢やらを持って上京した地で馴染めなかった時のしんどさ、裏切られたような悲しさは、比べ物にならないんだと思う。

地元が嫌でなんとか飛び出した東京(正確には川崎だけどまぁ首都圏よ)で、にも関わらず社会に出てつまづいて、結局実家を頼り地元に戻り、そこで一人ぼっちのような気分になったニート時代、あれは今思い出してもしんどかった。

数少ない娯楽の1つに、東京の有名なつけ麺屋の支店が、地元の何故かヘンピな場所にあって、そこに通うことだった。東京の味を食べながら、いつかまた戻りたいともがいてた。

それから何も成し遂げられず、ヤケクソで上京して幾年が過ぎて、つい先程久しぶりにその思い出のつけめん屋(東京の支店)で食べたんだけど、「こんな味だったっけな」となってしまった。

好みが変わったのか、これまで食べたラーメンが味覚を変化させたのか。なぜだかわからないけど、あの時夢中で食べた空虚な日々が、なんだか更にボヤけてしまった気がした。 ノスタルジーに浸るのが下手だな、と。結局、過去を貶しながら生きていくしかないのかな。

 

 

地元を愛することが地方公務員の前提という話を見かけた。僕が地元から脱出する手段に選んだのは公務員試験だった。周りの志望者は皆地元を希望する中、僕だけが東京を目指していた。

最終面接まで行き着いた末に、「でも君ヨソの出身でヨソ在住だよね、なんでウチに来ようとしてるの?」とツッコまれた。他の応対には手応えがあったと思ったが、最終面接は落ちた。

余所者は弾かれるシステムなのかと思ったりもしたが、あれは「地元も愛せないやつがウチの自治体にも愛着持って働けるの?」という問いかけだったのかと今更ながら思う。僕はその問いに答えることはできなかった。

今東京に暮らしているのも、好みに合わなくなったつけ麺を食べたのも、今でも組織に馴染もうとしないのも。 すべての噛み合わなさが噛み合ったような感覚が降ってきた。そんな薄暗い昼下がり。

 

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