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長編漫画礼賛

ひとりで勝手にマンガ夜話の白拍子さんがこんな記事を書いてました。
短編漫画礼讃 - 白拍子なんとなく夜話

長編漫画は駄作である。』で始まる挑発的な文。

長編漫画は長期間連載されるが故に、打ち切りや休刊による中断、人気や編集の事情によるストーリーの迷走などの問題があります。
短編漫画はそのような心配は要りません。数十頁に魅力が凝縮されて完結しているからです。

つまり、

          し!     _  -── ‐-   、  , -─-、 -‐─_ノ
  数 長    // ̄> ´  ̄    ̄  `ヽ  Y  ,  ´     )   長 え
  十 編    L_ /                /        ヽ  編  |
  頁 が    / '                '           i  !? マ
  ま 許    /                 /           く    ジ
  で さ    l           ,ィ/!    /    /l/!,l     /厶,
  だ れ   i   ,.lrH‐|'|     /‐!-Lハ_  l    /-!'|/l   /`'メ、_iヽ
  よ る   l  | |_|_|_|/|    / /__!__ |/!トi   i/-- 、 レ!/   / ,-- レ、⌒Y⌒ヽ
  ね の   _ゝ|/'/⌒ヽ ヽト、|/ '/ ̄`ヾ 、ヽト、N'/⌒ヾ      ,イ ̄`ヾ,ノ!
   l は  「  l ′ 「1       /てヽ′| | |  「L!     ' i'ひ}   リ
        ヽ  | ヽ__U,      、ヽ シノ ノ! ! |ヽ_、ソ,      ヾシ _ノ _ノ
-┐    ,√   !            ̄   リ l   !  ̄        ̄   7/
  レ'⌒ヽ/ !    |   〈       _人__人ノ_  i  く            //!
人_,、ノL_,iノ!  /! ヽ   r─‐- 、   「      L_ヽ   r─‐- 、   u  ノ/
      /  / lト、 \ ヽ, -‐┤  ノ  キ    了\  ヽ, -‐┤     //
ハ キ  {  /   ヽ,ト、ヽ/!`hノ  )  モ    |/! 「ヽ, `ー /)   _ ‐'
ハ ャ   ヽ/   r-、‐' // / |-‐ く    |     > / / `'//-‐、    /
ハ ハ    > /\\// / /ヽ_  !   イ    (  / / //  / `ァ-‐ '
ハ ハ   / /!   ヽ    レ'/ ノ        >  ' ∠  -‐  ̄ノヽ   /
       {  i l    !    /  フ       /     -‐ / ̄/〉 〈 \ /!


こういう事。多分。多分違う。AAを使ってみたかっただけかも分からん。

多分、半分冗談で半分本気。長編漫画が無価値とは思ってなくても、「長編漫画への不満」「短編漫画をもっと評価すべき」という意図が込められていると感じました。このネタには是非マジレスさせていただきたい。
基本的に、指摘されている長編漫画の問題点を支持します。その上で、何故自分は長編漫画を求めるのか書きたいと思います。


■「おかわり」が食べたい

食欲のように「漫画欲」があった場合、数十頁で読者を満たす短編漫画はあたかもレンゲ一杯で満足させるフカヒレ料理*1のようです。しかし、それは舌は満たせても腹は満たせるのかという疑問が残ります。

短編1回で満足させられるのは、優れた漫画といえるでしょう。でも、そんな一級品でも満足せず、貪欲に続きを求める食いしん坊読者がいるのです。レンゲ一杯の傑作では満腹にはならないのです。もっとそれを読みたい。続きを!続きを!続きを!
色んなレンゲを食べれば良いじゃんと言われるかもしれないけど、好きなレンゲばかり腹いっぱい食べたいんです。そういう人が飢えない為にも長期連載は必要なのです。


■脱線・迷走すら長期連載の魅力。

長期連載は時に人を裏切ります。何度も何度も裏切ります。あなたはすっかり疲れてしまい読んでることさえ嫌だと泣く気持ちは分かりますが、それさえ長編漫画の魅力なのです。ちょっとくらいの絶望も長い目で見りゃ極上のスパイスとなるのです。
去年の「漫画はつまらなくなった」論争で出た記事を紹介。

オモロ・つまらんでしか語れない奴にゃ漫画の楽しみなんぞ理解できまい - 脳髄にアイスピック

上の記事では、長期連載となったアカギの展開の遅さに作品としての面白さが初期よりは落ちてきていると認めながらも、それでもなおアカギを追い続ける意味が書かれています。

我々は『アカギ』の最終回を読むときに、ただ面白い漫画では味わう事のできない感動的な何かを味わうことができるのではないだろうか。それはリアルタイムで『アカギ』という極限までに反復され、似たような展開を何度も味わい、ミニマル化した『アカギ』を雑誌で読み続けた人間にのみ与えらえる至福の瞬間である。後世、完結した『アカギ』をまとめて読み終えた人はこのように言うことだろう。

長編だからこそ、長い期間にわたって読み続けるからこそ、クオリティ云々を超えた作品への思い入れが生まれるのです。「この漫画と共に生きてきたんだ」という感覚は、長編漫画でしか味わえません
「長さ」は読む上での大きな壁であり、負担です。でも、その短所の表裏一体の、長さゆえの魅力が長編にはあるのです。


■長編漫画でしか得られない面白さ
色々あると思うんですがここで挙げたいのが「伏線を回収する面白さ」。
短編にも伏線はあります。でも、長編漫画は長編であるが故伏線回収もダイナミック。

最初は意味が分からなかった登場人物の言動の意味、何気ない一風景としか思えなかった出来事、なかった事になってるんじゃないかと疑ってしまうほど遠い昔に触れられたきりになったきりの設定。作品の中に仕掛けられたこれらのギミックが1つの糸に繋がった時、今までの物語が幾重にも折り重なり、作品世界が一気に広がる。これこそ長編漫画の魅力です。


■一握りの傑作がある

すべての長編漫画が、問題を抱えているでしょうか。時に、不可避と思えるような構造上の欠点を越えた「完璧だ」と思えるような長編作品に出会う事が出来ます。それが、たった1つでもあれば長編漫画自体を否定する事は不可能になります。
「カラスは黒い」という命題をくつがえすには、何千何万何億の中にたった一羽、白い翼のものがいればよい!*2

打ち切り・長編は読者を裏切ります。ただ、そこに一握りの宝石があるのなら、それを信じて探し続けるしかないのです。それが漫画を読むという事なんですよ。

漫画社会の完成系は少数のサディスト(作者)と多数のマゾヒスト(読者)によって構成されるのだ。*3