少し不思議なキャラのいる世界 のらみみ

※あとで画像追加予定しました。
普通の生活が、不思議な異邦人の訪れと共に少し不思議な物語となっていく。例を挙げれば、ドラえもん、怪物くん、ハクション大魔王など、挙げればキリがないほど定番な設定。
そういった異邦人、「居候キャラ」が普通に世間に存在を認知されている世界。居候キャラたちは、幼い子供と一緒に生活し、やがてその子の成長と共に別れ、また新たな居候先をさがす。のらみみはそんな世界のお話です。

のらみみ 1 (IKKI COMICS)

のらみみ 1 (IKKI COMICS)


主人公のらみみは、不人気キャラのため居候先が無くしょうがなしに「居候紹介所*1」で居候をしています。そういう舞台のため、「居候キャラと子供の出会い・別れ」、特に別れのエピソードは良く描かれます。毎回「別れ」→「感動」の繰り返しなら読んでてクドくなりがちですが、そうならないのは作品の絶妙なバランス感覚。コメディ主体の回があれば、しんみり来る話でもちょっとしたおちゃらけを持ってきたり、たまにド直球が来たり。そこら辺が絶妙です。


「ドッタリ君」のエピソードが代表的な例。ある日のらみみたちの居候紹介所に訪れた、ドッタリ君というキャラ。彼は実は紹介所の職員・半田の元にかつて居候していたキャラだった。当時、別れの挨拶も無く突然半田の元を去ってしまったドッタリ君。彼との再会に感動する半田だが、いかんせんドッタリ君は物忘れが激しいため彼のことを思い出せない…という話。

ここで描かれるのは、離れ離れになったもの同士の再会という感動的なストーリー。でも、ドッタリ君のバカさがギャグになって、感動路線一本やりにはなってません。最後にホロリ、その後またちょっと落とす。そんな感じ。

居候キャラは子供から離れても、この世界からいなくなるわけではありません。キャラは次の子供の元に行きます。半田の例のように再開することだってあり、既存の居候モノより別れに対する深刻度は低め。そうだとしても、ドッタリ君と半田を見れば分かるように「子供にとってキャラとの別れが重大な出来事だ」ということは変わりないです。「大人にとって些細なことが子供にとっては大きな出来事だ」ということが描かれています。また、子供にとってキャラとの別れは大人になる第一歩という意味合いもあり、「大人と子供の対比」がのらみみでは描かれているのです。


そういったことを踏まえて、5巻収録の魔女っ娘のエピソード。
のらみみ 5 (IKKI COMICS)
小学6年生のシゲルの居候キャラは、男子には珍しい魔女っ娘タイプのメリィー。

小学6年の男の子。女の子の事を妙に意識してしまう時期です。キャラ=人間じゃないとは言っても、近い年代*2の女の子が一つ屋根の下。明らかにメリィーを異性として意識してるんだけど、「好きな女の子をわざとイジめる男の子」の様なもんで、わざとつっけんどんな態度をとってしまいます。そこら辺のシゲルの青さが、読んでいて懐かしい気持ちにさせます。
物語は2人の別れが描かれています。そこまでのやりとりや別れのシーンの美しさも見事なのですが、別れの後のシゲルのちょっとした描写が良いんです。特に最後のセリフが実に良い。

オレは
どうしようもなく
子どもだったよ、
メリィー。

メリィーとの別れを通して、素直になれなかった過去の自分の幼さを知ったシゲル。幼い子供たちがはしゃいでいるのを尻目に通り過ぎる彼の表情は、少年から大人の顔になっていました*3
話の構造として、ぴたテンに近いものがあります。ぴたテンも居候モノと言えますが、この作品が8巻という分量を通して描いた「少年の成長」を、のらみみではこの1つのエピソード(40ページちょっと)で描いているのです。これを初めて読んだ時非常に衝撃的でした。
大切な人との別れ。それを経験したことによる、子供から大人への成長。この漫画のテーマをまっすぐに、ド直球に描いた屈指の名エピソードだと思います。

IKKI誌上でしばらく休載があったりした後、今ではTVアニメ化もされて話題作…と言いたいんですが、書店でもネットでもイマイチ盛り上がりに欠けている気がします。古くから親しまれていた「居候モノ」という定番のジャンルをユニークな視点で描いた良作なので、是非この機会に読んでみてください。今ならコンビニコミックでも売っているようです。

*1:居候先の無いキャラに新しい居候先を紹介する所。名前のまんま。

*2:メリィーは見た目シゲルよりちょっと上。といってもキャラなので実年齢は恐らくずっと上。シゲルがチンチクリンの頃もメリィは同じ見た目だった。

*3:絵単品で見るとその表情は簡素な線で描かれているだけなのですが、紛れも無く以前とは違う大人の顔であり、そう読み取らせることが漫画の力だと思います。