テスト勉強に追われてても、きっちりサイン会の予約はしました。きづき+サトウ先生の新作、まんまんちゃん、あん。1巻。
- 作者: サトウナンキ,きづきあきら
- 出版社/メーカー: 幻冬舎コミックス
- 発売日: 2008/01/24
- メディア: コミック
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話の筋は「ある女の子がお寺に嫁ぐ」って感じなのですが、まだ1巻が出たばかりなので話がどう転ぶか分かりません。というのも、第1話から急展開に次ぐ急展開なんですよ。飛ばしすぎ。キヅキ先生トばしすぎ。まさか第1話から○○が××するなんて!(一応伏せとく)○○がどういうキャラなのかも分からない段階で××ですよ。××していても○○は今後の話に影響は及ぼしそう。○○が主人公にとってどのような人物だったのかが今後の焦点になりそうです。(伏せる意味はあるのかしら?)
で、話の筋は置いといて、読んでて気になる「人間関係の描き方」。今回の話の場合、「当人たちの間では当然のことが傍から見ればエグく写る」という場面が目に付きました。
主人公のめぐり(ロリ巨乳)は、家計の苦しい大家族の中で、進学を諦め、それでも就職先が見つからないため家の中に居場所がないと感じていました。家族仲は良い、家族は誰も出て行けなんて言わない、彼女は自発的に思ったことで、それで家を早く出ようと思うのは彼女なりの家族思いの形の現れ、なのですがそれは読者(=第三者)からみれば結構エグいと感じます。まだ若い、幼いのに家から出ざるを得なかった、という風に。
当人の間で「仕方ない」と思うことが、勝手な第三者には不条理なことに写るのです。
寺に嫁いだめぐりが、壇家との交流会で奮闘する姿も、寺の人間にとっては「めぐりのおかげで檀家との交流が活発になった」といえるのですが、部外者の人物はそれを「めぐりをホステスにしてスポンサーにごきげん取り」とバッサリ。
「渡る世間は鬼ばかり」のように、、「限られた世間の常識」に主人公が翻弄されるのですが、渡鬼のピン子とは違い、めぐりは(一応)幸せそうだし、周りの人間もめぐりに対して愛情を持って接しています。だからこそ、周りの人物のめぐりに対する思惑や行動に強烈な違和感、不条理感が出てくるのです。
人によって「常識」となることが「不条理」に感じる人もいる。その対比が今後もストーリーに大きく影響しそうです。
あと、きづき先生とサトウ先生は少なくともどちらかが重度の巨乳好きに違いないと思うんですがそこら辺サイン会で聞いて大丈夫なものですかね。まぁどうせ当日はガチガチでろくに話せないのが目に見えてるんですが。